心と想いの法則

・フローは意識でつくられる

体内や脳内には、人間の心身に多大な影響をもたらす微小な物質がつくられています。
この物質をホルモン(神経伝達物質を含む)と呼びます。ホルモンは、心や人体を見事に動かし、また、時にはその動きを止めてしまいます。どのようなことをするのか、ホルモンの働きの一部を事例でお話しさせていただきましょう。例えば、喜びホルモンが出ている時の運動や脳トレは筋肉や脳神経細胞の増殖を活発にしてくれるだけではなく、楽しく行ったときの方が良い結果が出ることが実証されています。したがって、継続して成果を挙げるためには、自然体で気分の良い状態、子供が夢中になって遊んでいるときのような脳の状態をつくりだすことがベストだと言えます。この状態のことがフローと呼ばれています。
ある、スポーツトレーナーの話では、事例として超天才的ベースボールプレーヤー、イチローのことを取り上げ以下のように言っていました。9回裏2アウト、2―3、満塁という場面が回ってきたとします。一瞬、ここで打たなければやばいと、ノンフローになるかも知れないけれど、次の瞬間にはフローになって、ヒットを打つことも出来ると。気持ちの切り替えが何しろ早い。それは、常に訓練をしているからだと。「イチローは一日30時間訓練しているよ、と私が皆さんに言うほど、食事のときも風呂へ入っているときも、たとえどんなときでもフローな状態になっておくよう訓練しています」といっていました。
試合のときだけではなく、寝る時も、朝起きる時も、普段の生活その全てを良い状態に持ってゆくよう訓練された脳が自然と働くように、メンタルトレーナーがついて訓練しているそうです。
タイガーウッズも同じことが言えるそうです。ミスをすると怒った態度が出ますが、その10秒後にはフローに入っているというのです。スポーツ選手でない私たちも見習うべきことかと思いました。

良い状態のときは感謝できたりしますが、問題は、いざ嫌な事が起きたとき、大変なことが続き、時に限界と思われる中においてフローでいられるかということです。
五輪書の中で宮本武蔵が書いていますが、武士たちは、戦の最中にノンフローな状態になり弱気を出し少しでも怖気づけば、その場で命を落とすことになったのです。
人生において我が身に起こってしまったことは、一見どんなに大変に思われることでも、全て、必然、必要、有効性でありベストなのですから、そのことに確信をもって、その意義を探り発見して感謝し、フローな状態を常に保つよう努力したいものです。
日常全てのことや周りの全ての人に対して、心底からの感謝の言動が取れるかどうか。自らの補うべき原因を謙虚にとことん探して(絶対的にあるはずなので)、素直に反省し感謝して補うことが出来るようになれば、その後の人生が大きく運勢アップして行くのではないでしょうか。『OEBest論』を活かせば、人生が大変好転すると思います。

・『OEBest論』がDNAを動かす

想いがDNAや遺伝子に影響を与えるというのです。何故かといいますと想いがホルモンの抽出に影響を与え、抽出されたホルモンがDNAに接触してDNAを動かすというのです。
良き想いを持ち、良き身心両面の環境をつくることが良きDNAの遺伝子コードをつくり出し、健康や精神的レベルに帰納して人生に良い結果をもたらす、ということになるのでしょうか。
脳 

梅干や大好きなご馳走を「イメージする(想う)」と、唾液だけではなく膵液や胆汁、胃液が出ることや意だけではなく腸が動き出すという現象が起こることが分っています。イメージ(想い)によってホルモンという物質化が起こり、ホルモンが現象化を促進させるというのは、ごく一般的な身近なことなので分りやすいのかと思います。

現代の量子理論によると、物質としての原子は素粒子から出来ていますが、素粒子は波動となるそうです。波動とはエネルギーのことでもあるので、私たちの想いも波動ですから、同時にエネルギーでもあるということが立証されます。

心=想い=波動=エネルギー=素粒子=原子=物質=ホルモン
そして人体は、「想いの物質変換機」であると言えるのではないでしょうか。

 

「自然の摂理」という厳格なルールにより ⇒ 結果が導き出される

ワースト ケーススタディ

・何を選択するか

 一昔前まで世代交代は、ワンゼネレーション40年と言われましたが、今日では、世代交代3ヵ月と言われるほど目まぐるしい時代に激変してしまいました。常に私たちは、限りない多くの事柄から、一定のごくわずかな選択をせねばなりません。oebest_theory3_8_1
しかも、何を捨て、何に思いを掛けて取り組むかによって運勢が天国か地獄かというほど分かれてしまうことも現実に起きています。ストレス社会といわれる現代の選択は、ロングスパンで見るまでもなく結果として経営や健康、家庭や人生の破綻により死に追い込まれることもあります。
ここでは厳しい現実にあって、余りにも多すぎる事柄や情報の中から、何をどのような基準において選択し、どのような心構えで対処するかを考察してみたいと思います。

・宮本武蔵の事例

 戦国の世を生きる武士の時代に比べたら、彼等が創造もつかないほど現代日本は平和になりました。しかし、また一方では、後進国の人たちがビックリして不思議に思うほど我が国では自殺者や無縁死が多く厳しい時代を迎えています。医療に於ける死の様相、終末医療の悲惨さは人類がかつて体験したことのない惨憺たるものとなっています。病気や健康にかかわる選択をもし誤ってしまうと、まさにそういう状況に自身や周囲を追いやってしまいかねません。
書や水墨画も有名で、「剣禅一如」と言わしめた人生哲学にも通じ、剣豪として、吉川英治の著書が多くの読者を集め、またNHK大河ドラマにもなった宮本武蔵は、沢山の逸話も遺し、当時としては長寿を全うして穏やかな死を迎えました。
武蔵は、絶体絶命の危機にも多勢にひとり悠然と立向かい、見事に破る勝負強さは、高僧、沢庵和尚にこっぴどく戒められ、ある時は大木につるされ、ある時は天守閣に閉じ込められて万巻の書を読まされ、また瞑想を強いられ、生命のせめぎ合いの淵にありながらも人生の大望を見失わず、逃れられず我が身に降りかかる大難には全力で立向かい絶好の転機にしてしまいました。そのような激しいまでの生き方を通して、武蔵の哲学と人間像が徐々に完成していったように思われます。
既に多くの人に知られ名声を馳せたその武蔵が、ある時、田んぼの中の細道を通りかかると、飼い主が手綱をとるもおさまらないほどの勢いで一頭の牛が暴れていました。近くにいた人たちは、吉岡道場一門を相手に千分の壱も勝ち目のないと思われる戦いにもたった一人で立向かった宮本武蔵ですから、一頭の牛ぐらいはなんなく簡単におさめてくれるものと思い込んで、どのように見事に対処してくれるか期待していました。ところが武蔵は手前の畦道を、そ知らぬ顔して右に曲がり、牛をよけて何事もなかったかのように街道を行く人々の見守る中を通り過ぎて行きました。
ことにおいては、意味もないことには関わらず、何のこだわりもなく遠回りしてでも避けて通る、何が重要で何が無意味なのか、その見極めは人生に於いて大変重要なことなのかも知れません。

武蔵が未だ無名だった頃に、小さな宿場のある軒先で食事をしていたところ、武蔵の周りにいた、如何にも怖そうな顔をしたごろつきと思われる大男どもと険悪な状況となりました。周りにいた旅人たちも心配してみていました。武蔵はそ知らぬ顔をして、もくもくと食事をしていましたが、近くに馬小屋があるためにハエが飛んできます。武蔵は飛んでいるハエを、いとも簡単に、食事をしていた箸で、「ヒョイ、ヒョイ」とつまんでは1匹も逃さず捕まえては退治しだしました。それを見ていた、ごろつきどもは、しゅんと頭をたれておとなしくなり武蔵に乱暴なことを仕掛けなくなったそうです。暴漢ぐらいは簡単に退治できた武蔵ですが、ハエを退治することにより無駄な争いを避けたところが、さすが武蔵、何とも恐れ入ります。

・感謝と利他愛の精神がベストへと導く

 あらゆることにおいて、利他なる哲学のない利己的勇気や行動は、単なる蛮勇に過ぎず、いつか結果的に自己を滅ぼし他に迷惑を及ぼすだけに終始することでしょう。
しかし、険悪極まりない内容の良くない出来事であっても、どれほど避けようと努力しても避けきれず身に降りかかる事も人生には多々あると思われます。そのような場合は臆せず立向かわなければならないでしょう。積極的に信義を尽くして「自然の摂理」に順応してことに当たれば、全てのことが、必然、必要、有効性、ベストとなって人生を潤し輝かせてくれることでしょう。感謝と利他愛の精神を持って、『OEBestの想い』を全力投球すれば、自己の人間力がつくと共に必ずやベストな結果を出すことが出来ると確信します。

・避けるべきこと、追いかけても捕まえなければならないこと

家庭内や職場の問題、友人知人から近所付き合いまで、いろいろな人たちとの関わり合いには、どんなに避けて通ろうとしても避けきれない出来事が発生するものです。
対人的な絡みのある出来事に対しては、誠意を持って上記と同じように対処すると共に相手の人にお世話になった事柄を思い起こし、例え恨みばかりしか思い起こせないとしても、その人の幸せを心から真実祈れる自分になるよう努力し、必ず実践することが自己にとっても最も素晴らしい解決策であり、am900_pe073また、ベストな効果を上げることとなるでしょう。必ず実践されることをお奨めします。実践し体験し成果を味わってこそ自己の成長とその後の人生の幸運へとつながるものです。
こんなケースも考えられます。困難な出来事が向こうからやって来るのではなく、良いと思って自ら積極的に関わったのに、とんでもないリスクを負わされ行き詰まり、にっちもさっちも行かず此の世の地獄を見たような苦悩に喘ぐことがあるかも知れません。
人は全て自己の考えによる選択が、必ず正しい(自己にとっての真実)と思うことだけをするものだと言われています。言い方を変えるなら、「人間は、自分にとって良いことでなければしない」。自己にとっての良いことだけが自己の真実であり、人は「真実」意外は決してしようとしないと言えるでしょう。

・膨大な情報や出来事の中から何を選び取るか

ITからITCへ、携帯で世界中の人たちとつながる情報化社会では、数年前と比べめまぐるしい最速の進化が世界の在り方、私たちの生活環境を根底から変換させています。目の前には星の数ほどの情報や事柄が溢れているので、その中から何を選び何を実践するかが、運命を決定すると断言できるほど重要だとも言えるでしょう。例えば、日本や世界の将来を見極めようとしたら、一日に送り出される情報量に目を通すだけでも人生を何回繰り返しても間に合わないでしょう。より健幸な人生を築き、
人生の目的や夢を達成しようと思うなら、数限りなくある中から何を選択するかをしっかりと見極めなければなりません。
「人生で、チャンスは3回ある」という諺がありますが、私はそうは思いません。チャンスは日々身の周りに溢れているものだと確信しています。チャンスのほうからぶつかってきてくれても気付かず、通り過ぎてしまっているのではないでしょうか。
有り余る情報や出来事の中から、何を選び取るかが重要だと思います。

真実と自然の摂理

・人は正しいこと以外はできない

各自の真実や行動に対する正か偽かは個人差が大きく、100人いれば100通りの真実があり、「人は誰でも自分で正しいと思うこと以外は決して出来ない」ものだとも言われています。
そのことを深く考えてみると、例えどのような悪事でも、全て人は自分の考え方から来る理由があり疎なような言動を起こすことが自分にとっては正しいことだと思って行っている」ということになります。したがって、信じがたいことですが、殺人もその人にとっては正しいと判断して行うということになるのです。
相手の人がどのように思うのか、人の心理状態に対しては充分配慮しまた注意しなければならないのかも知れません。
考えようによっては、その人にとってたいへん貴重な良きことであっても、その人の取りようによっては怒るべき内容に解釈されてしまう、ということも起きてしまいます。したがって、人が自分にとって不満なこと嫌だと思うことに対して、いちいち不平を言い、嫌な気持ちになっていたら嫌な言動が多くなり、そんな人生が続いたなら嫌な人生に終始してしまうのではないでしょうか。
『OEBest論』は、One, everything happen for the best、から来ていることは当初すでにお話させていただきました。『OEBest論』の内容を一口で言えば、「誰でも、自分に起きることは、全て最善である」という意味です。このフレーズの6文字を取ってOEBest(オーイーベスト)としたものです。

『OEBest論』も、自ら正しいこととして積極的に行う人は、正しいとして行う内容が『OEBest論』の思考の中にあるからそうするわけで、正しいと確信できなければ決して行わないでしょう。
ある人が、「嫌いなことや嫌いな人には、はっきりと嫌いだと言いたいし、苦手なこと嫌なことは一切する必要ないんじゃないですか、苦手なことをやりたくないと思うのが本音ですね。仕事や家庭、人生で嫌なことでも自分に与えられ行わなければならない責任のあることであっても、そのようなことを自分にとってベストなことと喜んで、感謝しつつ行うなど真っ平ごめんだよ」。

これは、大半の人たちの正直な本心ではないかと思われます。筋肉も脳も使わないとたちまち退化して衰えてしまうという現実があります。3ヶ月足を使わないでいるだけで筋肉や骨は痩せて太さが半減し歩けなくなります。筋肉痛を起こすまで鍛えると、その痛みの力により血行やその他筋肉を強化するホルモン分泌が盛んになり筋肉はたくましくなります。したがって、筋肉を使う仕事をしても、スポーツでも以前より楽に早く良い結果を出すことが出来ます。しかも、気持ちの上で積極的に喜んで行うと筋力アップや能力アップにもさらに格段の効果があることが分っています。

病気と同じように、真の原因や病気の持つ役割が分らないために見当違いによりやたら攻撃を仕掛け、薬害や副作用で我が身にダメージを与えてしまうように、自分にもたらされる出来事の有効的な真の内容が理解できないために攻撃したり、出来事から逃げたりして、ベストなことを逃がし、我が身をひどく傷つける結果になってしまうのです。

先ほども挙げたように、まず気付こうとすることが大切です。そして気付いたら繰り返し自己暗示をかけることが、自分を高めることにつながるのです。
am500_in091仕事やプライベートに於いて人生が順調である時は、行っているレベルや多くの事が、自己の得意な分野領域にあると言えるのではないでしょうか。一般的に仕事レベルはとどまることなく、万般に亘って常に高度な技術やサービスを要求されるようになります。普段から一生懸命十二分な努力をして、自己の技能や器量を日々高めているなら問題ありませんが、例えば高度化したニーズについて行けなくなり、お客様や会社からの要求に順調に対応できない場合、諸種トラブルが発生してきます。ここで、ややこしい問題となるのは、本人が仕事へのトラブルの発生が自己の原因であることを理解していないところにあります。理解できるようなら大きな失敗をすることは無いのですが、問題の原因に気付かないのです。

・嫌な相手こそ感謝すべき恩師

そんな相手に対しては、不平不満をいう替わりに、相手の喜ぶ言動を心がけ、先ずは、相手を幸せな気分に満たして上げると共に、真実の幸せを得ていただけるように本心から祈り、その方法を考えて協力して上げましょう。そのように出来ることが、そのように出来るあなた自身も、自己の人間性が高められ、今まで以上に真実の幸せを得られるゆるぎない実力を身に付けることができるのではないでしょうか。
その実力を付けてくれたのは、真実の幸せをもたらしてくれたのは“その相手”です。
その相手の人こそ、心から感謝すべき、あなたにとっての恩師となります。

『OEBest論』も、自ら正しいこととして積極的に行う人は、正しいとして行う内容が『OEBest論』の思考の中にあるからそうするわけで、正しいと確信できなければ決して行わないでしょう。
ある人が、「嫌いなことや嫌いな人には、はっきりと嫌いだと言いたいし、苦手なこと嫌なことは一切する必要ないんじゃないですか、苦手なことをやりたくないと思うのが本音ですね。仕事や家庭、人生で嫌なことでも自分に与えられ行わなければならない責任のあることであっても、そのようなことを自分にとってベストなことと喜んで、感謝しつつ行うなど真っ平ごめんだよ」。

これは、大半の人たちの正直な本心ではないかと思われます。しかしたまには、これだけは絶対に嫌だ、苦手だと思うことにチャレンジしてみることをお勧めします。そこには大きな収穫があると確信します。但し、どうせやるなら人一倍、上手に、しかも、何より楽しく、途中での失敗も貴重な体験として喜びに替え、何が起きようと全てを自ら楽しんで行うことです。全て起こることを楽しみながら行うのだと、決断して、自己暗示をかけて、積極的に、実践することです。
最も苦手な嫌のことだから、実践することじたいに意義があります。どうせ行うなら、プロよりも、誰よりも楽しんで簡単に、上手に、最高の結果を出す、と決めて、注意深く広く神経を使って状況を把握し、プロ以上の技量を身に付けようと想うのです。
「先ずは、“そのような想い”を持つことが重要です」。

積極的に楽しく立向かえば、能力は育つものです。脳や身体に重度の障害を受けた人でも、リハビリを行うことによって、一旦は失ってしまった能力が、新たに生まれ育ってくるのです。
新たな能力や脳神経回路が生まれてきて、出来なかったことが出来るようになり、さらに訓練によって徐々に上達するのです。
筋肉も脳も使わないとたちまち退化して衰えてしまうという現実があります。3ヶ月足を使わないでいるだけで筋肉や骨は痩せて太さが半減し、歩けなくなります。
しかし、筋肉痛を起こすまで鍛えると、その痛みの力により血行やその他筋肉を強化するホルモン分泌が盛んになり筋肉はたくましくなります。鍛えると、やることなすことが上達するのです。
したがって、筋肉を使う仕事をしても、事務的な仕事でも、レイアウトや文章、アート、あらゆる分野の技術的な仕事であっても、以前より楽に早く良い結果を出すことが出来ます。しかも、気持ちの上で積極的に喜んで行うと脳神経細胞が増殖し、能力アップにもさらに格段の実力がつき効果が確実に上がることがデータとしても実証されました。

・難問には、補うべき欠陥が潜んでいる

人生には、年齢に関係なく不条理なことが起こります。大人からしたら一目瞭然当然なこととして理解できることも、子供たちにとっては分らないことも多いと思います。ましてや、1歳、2歳のような子は保育園へ行きますが子供たちにとっては大変なことで、大きなストレスを抱えることにもなるでしょう。観察していますと、1歳の子が保育園に行くようになって、今までの満面の笑顔が一切消えてしまい、笑顔が戻るのに3ヶ月掛かりました。1歳の子供にとって母親と離れ保育園という環境の変化によるストレスは大きかったものと思われます。しかし、その後は大分しっかりして成長したように思われました。体験したことのない4歳児よりも、体験した1歳児の方が保育園へ通うことにおいてはたくましくなっています。そういうこともあるのです。
環境の変化など我が身に降りかかってきたことを乗り越え、さらにいろいろなことを体験する中で鍛えられ、成長するという能力が人間にも初めから大原則(自然の摂理)として備わっているのだと思います。保育園へ通っていない他の子供たちの平均的な精神的弾力性は、例え1年でも早く保育園へ行った子の方が、それなりに強くなっていることが明らかでした。
心身共に健康であるということは重要なことですが、心身の健康も心掛け次第で大差が生じるものと言えるでしょう。人生には家庭や仕事、対人関係やそこで必要となるコミュニケーションその他、沢山の事柄がどんなに避けようとしても避けきれない問題として生じて来るものです。
しかも、自分に起きてくる難問と思える問題こそ、心の内にあって補わなければならない欠陥(問題を起こす原因)であり、自己の想い(思考)の中に抱える問題なのです。その補う必要のある心(思考)の問題(原因)を提起してくれるので、問題が提起されたときこそ補う絶好のチャンスであり感謝すべき出来事であることが理解できると思います。しかし、大半の人たちは気付かず返って対症療法を施し核心から逃げてしまうので、成長することなく同じような状況に来ると何度も繰り返し苦悩することとなります。自己の欠点を認知するのが怖いのです。
また、今まで認知せずに、うまくかわすことが常套手段として功をなした喜びが潜在意識に刻印されているので、考えることなく反射的に自己弁護が起こります。自己弁護によって、問題(自己の補うべき欠陥)の核心から無意識に逃避しているにもかかわらず、本人も自己弁護や逃避により、実質的に人生における大きな損失や、これから発生するだろうと思われるリスクに気付かないのです。
気付いても認知せずに弁解を繰り返し同じパターンに引き戻されてしまいジレンマがますます発生します。どんなに優れている人であっても、また、社会的な優位な立場にある方でも時に、エアーポケットに落ちるように、これが、多くの人が犯す一般的なパターンであろうと思われます。しかも、このエアーポケットに一度落ちると、折角、難題が起きチャンスが来ても肝心なところで自己弁護というエアーポケットに落ちて、同じことを何度も繰り返してしまいます。それが一般的なパターンなように思います。
何度禁煙を決意しても、気付くとタバコをくわえていた、というように、エアーポケット落ちを止めるには自己暗示と強い決断が必要です。
その重要性にやがて気付いて、しっかりと自己を見つめ、自覚が高まれば、かつてのエアーポケット落ちがウソのように徐々に減って、一切なくなり幸せ度が急速にアップするものです。

・自然の摂理に照らした言動で事態は一変する

エアーポケットから抜け出すこと、繰り返さなくなることは大変難しい問題のように思われますが、決してそんなことはないのです。自然の摂理に照らして正しき思いこそが、和を欠いた考え方や自然の摂理に反した波動(想い)よりも、絶対的に強力なエネルギーを持っていますから、楽しく感謝しながら簡単に乗り切れるようになっているのです。
どんなに大きな難題が押し寄せても、一時の揺らぎはあったとしても春風のごとき心を常に保つことが出来るのです。
その想いが利己愛や自己弁護やマイナス思考でなく、自然の摂理に照らして、良心で判断や良心で思考、良心の言葉だけを伝えるようにすれば、事態は一変して必ずよい方向へ向かいます。何ひとつ心わずらい心配する必要はないのです。心や想いが自然の摂理に順応してさえいれば、春のやさしい風のようにフローな心を常に持ち続けることが出来ると思います。
難題は、私たちに必要あって、しかも逃れられない必然的に与えられている有効ベストなことなのです。どうせ避けきれないなら、感謝と喜びを持って積極的に幸せな人生作りの7つの秘宝を持って、難題と思われる事柄を人生のベストなチャンスに変え、自己の人間力をさらに高めて言ったらよいのではないでしょうか。

・人生、7つの秘宝

「give and give論」「大志論(great theory)」「OEBest論」「和の理論(universe theory)」「T・positive論(think positive)」「実践論(action theory)」「病気有効論(sickness theory)」、以上「G・G・O・U・T・A・S(グータス)」の7つを総合的に学び実践することによって、より幸せで豊かなやり甲斐のある人生と夢の達成、元気な生き甲斐の持てる優美な長寿、そんな「健美豊和(健幸)な人生」づくりが可能になります。
人生をしっかり自立したより豊かに楽しくする7つ秘宝のひとつに「大志論」があります。大志を持つことについて、ある人がこのように言いました。それは、「夢や大志を持つなど嫌だね、大きい夢を持てばそれだけ苦労も大きいから、そんな苦労はバカげているよ」というものでした。
その人は、野望と大志(夢)の区別がつかず、意味を勘違いしていたのです。大志を抱くことが、どんなに自己にとって素晴らしい生き甲斐の持てる自分自身を常にハッピーにしてくれるかが理解できないためにそう言ったのであって、理解できれば積極的に大志を持ち、その達成に遣り甲斐と貴重な価値観を見出して、人生が大きく根本から好転して行くことになるでしょう。その人は、生まれ変わったように内面から輝いてくるでしょう。人間力をつけて人生が何倍も何十倍もハッピーになること間違いありません。

今まで考えたこともなかった『OEBest論』の内容が深く理解できるようになり、『OEBest論』を実践してその価値を知り、人生の何物にも変えがたい多くの宝物を見出し、心の糧、心の喜びとすることが出来るようになるでしょう。
今まで煩っていた沢山の嫌なことが、心からの感謝に変わる一瞬を体験するでしょう。何故なら、そのような心の波動や想いが「自然の摂理」や自己の潜在意識と、宇宙万物、真善美、生命、それら全ての創造の原理と統合して、共鳴増幅し、あなたのパワーやエネルギーと一体となるからだと思います。目には見たり触れることが出来なくても、重力や引力があるように、目に見えないが何かがあると信じられるあなたなら、必ずご理解していただけると思います。

健幸づくりの方法

・マイナス思考から脱するために

 相手と意見が食い違ったり対峙した時などに、相手の弱点を突いたり悪いところや間違っているところを指摘して、何とかその場をやり過ごそうとする人がいます。相手を非難することで自分の優越感を高めたり、相手をやりこめることで自分の正当性を保ったり─。これはいずれも自己弁護の手段に過ぎず、それが勝ち抜いていくことであるかのような錯覚を起こしてはいけません。
ある意味でのそうした“要領の良さ”は、幼い時に親から受け継がれてしまったケースがほとんどです。それは、親自身が真実(OEBest論や宇宙の法則など)を知らないからなのですが、マイナスの思考や言葉、否定的な波動エネルギーが子供の中に刻まれ、子供がそれに反発・反抗したとしても、潜在意識の中にどんどん入っていってしまうのです。だから、いざ直そうと思っても、なかなか直りません。
例えば、周りから「薬はいいものだ。薬を飲めば治る」と言われ続け、皆が暗示にかかっているのと同じ。周りが皆そう言っているから正しいと思ってしまっているのです。相手と対立した時に相手を非難するのも、それが正しいと思っているから。でも、ますます悪化するだけなのです。

・影に光を当て、自ら太陽になる

 そうした悪い状況から抜け出す方法の一つとして、影、ダークな部分に光を当てるというやり方があります。その光とは、give and giveの利他の愛であり、慈悲の想いです。さらに、利他の愛や慈悲の想いで自分自身を満たせば、その時は自分そのものが太陽となります。本当はその時だけではなく、ずっと太陽でい続けられれば良いのですが。
ここでやはり、大志論が重要になってきます。大志論を持っていれば、太陽であり続けることも可能になります。
けれど、子供のころから潜在意識に刻み込まれたマイナス思考はなかなか直せない。それを転換・解放する一番のビッグチャンスは、実は心の痛みを生ずるような困難に遭った時なのです。困難は浄化作用であり、自らのマイナス思考を浄化させるために起きています。だからこそ、困難は、強烈にプラス思考を自らに叩き込んで「自分に起きていることは必要必然ベストである」と深く理解できる絶好のチャンスです。
困難とそれに伴う心の悩みや苦痛が生じるということは、浄化しなければならない間違った影、ダークな部分があるからです。不健康原因がなければ病気は起こらないという原理と同じです。
まずは自分の中に浄化しなければならない影があることをしっかり認識して、それを変換しようと努力すること。利他愛や慈悲の想いをしっかり自分の内に持って、物事にあたり、周りに接すること。特に、一番対立している相手に対して、その人の幸せを真剣に想ってみる。例えば、朝日に向かってその人の幸せを祈るとか、普段の生活の中で敵対している人が幸せになるにはどうしたらよいか、どんな方法があるか相手の良かれをあれこれ考えてみる。そのようにgive and giveや慈悲の心を惹起させることにより、状況は変わってくるものです。


page 1 2 3

▲topに戻る